INTERVIEW

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農家(葛尾村野川地区)
佐藤 智恵子さん

夫婦で田村市の都路町出身です。葛尾村には昭和39年に引っ越して来ましたが、いいところなのでずっと住んでいます。当初は村の方言がわからないことも多かったですが、自然と溶け込んでいけたので、ご近所付き合いにそれほど苦労はしませんでした。と言いますか、ご近所さん付き合いに悩んでいる時間がなかったというほうが正しいかもしれません。

当時は旦那と一緒にふすまや障子を作る建具屋をしていました。一時、自動車学校に通っていたときなどは、朝3時くらいに起きて7時半まで建具の仕事、そこから葛尾村にあったレンズ会社に出勤して17時まで働き、その後自動車学校に行って家に帰ってくるのは22時くらいでした。自動車学校を卒業した後もとにかく忙しくて、寝る時間も朝ごはんの時間もなかったです。365日、休日も誕生日もお正月もなし。しいて言うなら、部落の新年会が唯一の休みでしたね。でもその新年会も食べ物は持ち寄りだったので、正直大変なことに変わりはなかったです。

東日本大震災があった時、私は建具の仕事で依頼主のお宅にいました。瓦がどんどん落ちてきて「これは大変だ」と思い、手で茶箪笥を2つ押さえて、足は台所の扉を押さえていました。地震が収まってから、道路に出てみると、近所の人がぺたんと座り込んでいました。怖かったんでしょうね。一度自宅に帰った後、地震から2、3日後には郡山に避難しました。

葛尾村の避難解除までの6年間は、娘の居た郡山と三春町の仮設住宅を行き来しながら郡山で野菜作りをして、解除から3日後には葛尾に帰りました。3年前からは葛力創造舎の下枝さんに自宅の一部を貸し、ゲストハウスZICCAとして使ってもらっています。宿泊する方とお話しする機会が多いのでいろんな人に会えるし、来る人はみんないい人です。学生さんが多いので、若い人の力強さを感じます。最近は宿泊する人がどんどん増えてきたので、たまに誰もいない夜があると本当に寂しく感じます。

また、去年から畑を借りていろんなものを作り始めました。インゲンや枝豆、キュウリなど。ZICCAに来ている学生さんたちに手伝ってもらいながら、楽しく面白く野菜作りができました。キャベツと白菜は下枝さんの「SHIOKURI」でいっぱい送りましたね。今年は何を作ろうか楽しみです。

【写真】高校生が作った「ZICCA前」バス停看板の裏面は、大家さんである智恵子さんのお名前から「ちえちゃんチ前」

(2021年2月取材)


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