PLAYER INTERVIEW
現在、葛尾村に移住して3年が経ちました。今では結婚し、子供も2人授かり同じく移住してきた子育て世代や近所の方々と、ここ葛尾村で楽しく幸せに暮らしています。
東日本大震災の日、僕は茨城県小美玉市の中学校の卒業式を終えて、友人宅にいました。将来に胸を弾ませていた中での、あの地震の衝撃は今でも忘れません。高校生活を無事スタートできるのか不安な気持ちで一杯でした。
震災直後の福島のことは報道等で常に情報が入り、その度に気には留めていました。そのこともあって高校では電気科を専攻し、卒業後はさらに専門的な知識を学ぶため、福島県郡山市の日大工学部電気電子工学科へ進学しました。そこで発電や原発についての知識を学び、将来は発電事業に携わりたいと考えたのです。
僕と葛尾村との出会いは、その大学在学中のことでした。所属していた地域連携活動研究会(RISM)の活動で、葛尾村盆踊りに参加したのがきっかけでした。初めて参加した村の行事なのに、新参者の僕に村伝統の貴重な太鼓を演奏させてくだったことがすごく嬉しくて、地域の方々の懐の深さに大きく感激したのを覚えています。
それから在学中は毎年のように盆踊りに参加しました。村の方々と交流や親交を深めるうちに、みなさんの人柄や都市部にはない人のつながりを発見し、第二のふるさとのような居心地の良さを葛尾村に感じるようになりました。
そんな僕は22歳で「まざっせ郡山」に就職。主な仕事はサイトの運営やレンタサイクル受付でした。そこで一般社団法人葛力創造舎の下枝代表に出会い、同団体が主催する人材育成プログラム「葛力創造塾」を勧められたのです。僕は学生時代RISMで葛尾村に関わりのあったこともあり、三期生として入塾を決めました。
葛力創造塾では人間学、人とのかかわり方、社会人としての基礎知識など多くのことを学びました。その1年間は、自分と向き合い、これからの人生の歩み方を塾生の仲間とともに真剣に考える時間でした。
23歳のとき、RISM時代に葛尾村でお世話になった方とのご縁もあり、自分が今まで学んだ電気の分野で葛尾に貢献できる、葛尾創生電力株式会社へ地域おこし協力隊として入社しました。
2021年、葛力創造舎が村の伝統的な結婚式をイベントとして復活させた「葛尾祝言式」に、僕たち夫婦は新郎新婦役で参加しました。実際の自分たちの結婚はフォトウェディングのみでしたので、このような式を開催してくださることは光栄でした。美しい花嫁姿を披露した妻も大変喜んでくれましたし、地域の方々から多くの祝福を頂いたことは忘れられません。
現在は村内のよつば建設株式会社に務め、県内を中心に道路の舗装工事の現場員として働いています。村内でも仕事をしているので見かけた際はよろしくお願いします。
今では家族4人、葛尾での暮らしをのびのびと楽しんでいます。交通の便が悪いといった欠点もなくはないですが、一方で村民の方々から野菜を頂くなど、ここには都会にはない人との繋がりがあり、その中に温かさを感じる日々に幸せを感じています。
最近、コーヒーの美味しさに改めて気づきました。そこで、大好きな日本酒とコーヒーを村内中心に県内各所のイベント等で提供しています。行く行くは、料理上手な妻と一緒に葛尾村にてカフェバーをオープンしたいですね。これからも葛尾村と共に歩んでいきたいと思います。
【2022年5月取材】