PLAYER INTERVIEW
葛尾村出身でずっと葛尾で暮らしています。実家は葉タバコの栽培を中心に、米作りと畜産をやっていました。葉タバコの出荷の手伝いは子どもでもできることが多くて、小さいときから手伝いをしていました。昔は「勉強をやりなさい」と言われることはなくて、「おうちの手伝いをしなさい」と言われることの方が多かったんです。でも、子どもの頃って友達と遊びたいじゃないですか。だから、こっそり手伝いを抜け出して友達と近くの川に遊びに行きました。さぼっているのがばれて、家の人に怒られていたのが今ではよい思い出ですね。
昔は、葉タバコに限らず家の手伝いをなんでもやったんです。それが当たり前だったから。そのおかげで今いろんなことができるし、この歳になっても動くことが苦じゃないんですよ。むしろ、体を動かしていないとダメなくらい。
震災のときは、郡山の姪の家でお世話になった後、三春町の仮設住宅に避難しました。主人は避難先で病気で亡くなりましたが、生前にいつも「葛尾に帰る」と言っていたので、私は避難指示が解除されたらすぐ葛尾村へは戻ろうと決めていました。それに、これから知らない場所に行くより、住み慣れた場所で生きていきたいと思ったんです。実際、解除の2日後には葛尾村に帰りました。当時は、周りの人はまだ帰ってなかったので夕方になると心細くなり、仏壇の前に座って亡くなった主人に「さみしい」と話しかけていました。そうすると、なんだか気持ちが軽くなった気がしてね。葛尾村に戻って、自分の気持ちの整理がつくまで1週間くらいはかかったと思います。
今は月に数回のパッチワーク教室と筋トレに友達と行くことが楽しみです。私は今とても幸せです。住み慣れた土地で、のんびり家の前に植えてある花の手入れをしたり、お友達とおしゃべりしたりできるんですから。私は、自然豊かで静かで空気と水がきれいで、自分らしくいられる葛尾村が好きです。何もないというけれど、何もないことがいいんです。自分の好きなように生きられるんだから。これからもこの村で自分らしく生きていきたいと思っています。【写真=ご主人の二夫(つぐお)さんが生前に製作された貯金箱】
(2021年4月取材)