INTERVIEW

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下葛尾区長
遠藤 英徳 さん

幼い頃は先々代の借金で食器やら農地やらを売って、必要最低限だけで暮らしていたため貧乏でした。両親は炭焼き職人をしていて、村の人みたいに百姓をしていたわけじゃないので食べ物にも困りましたね。ですが、一生懸命やっていたためか親父は炭焼き職人として、農林大臣賞を天皇陛下直々にいただきました。我が家の宝物です。

昭和22年頃に地主が持っていた土地を国が買い上げ、小作人に売った農地解放があり、農地を買い戻してからは農業も始めました。そのため、私は会社と家の農業で休む暇もなく働いていました。平日は葛尾村で仕事をして、休日は葉タバコ、稲、牛の繁殖を行っていました。平日でも農業が忙しいときは、仕事終わりに日が暮れるまで畑を耕しました。今思うと若いからできたなって思っています。

震災があったとき、私たちは村で一番早く避難しました。震災翌日の15時くらいに葛尾村を出て、娘のところについたのは夜の12時でした。ガソリンスタンドでは前の車でガソリンが売り切れになったり、娘のところに避難したけど水が出なかったりしました。1週間から10日くらい過ぎて、飼っていた牛とも会えましたね。隣の部落で牛を運んでくれる人がいたので避難したところまで運んでもらいました。娘のところで牛が厩から逃げて大変だったこともありました。

その後、三春町に住みました。三春では牛を預かってくれる方がいて、週に一度ほど見に行って世話を続けました。そのほかに葛尾村の事業で、お世話になった三春町のために草刈り隊を結成しました。道路で邪魔になっている木や草を刈ったり、依頼を受けて民家の竹を伐採したりしていました。そのため、夏場は草刈り、冬はチェーンソーをもって伐採と休まず働きました。草刈り隊は葛尾村でも続いています。最近まで親方をしていましたが、後継者に譲りました。

平成28年に部落の人たちと一緒に葛尾村へ帰りました。今後も、牛の世話を続けていきたいです。震災前は部落の人みんな牛を飼っていたのですが、今は40軒中2軒だけしか育てていません。こまめに世話をしないといけないので好きじゃないと続けていけないと思います。

私は牛だけに限らず、動物が好きです。去年は鳥小屋を作って木においといたら1週間くらいでシジュウカラっていう鳥が入って巣立っていきました。今年も楽しみです。今後も動物とかかわって生きていきたいです。

(2021年2月12日取材)


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