INTERVIEW

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猟友会会長(葛尾村 野川地区)
石井 勝治 さん

私が狩猟を始めたのは、昭和53年に草刈り機で足の裏を怪我して、そのリハビリのためでした。歩かないといけないけど、ただ散歩するだけじゃつまらないと思い、狩猟を始めたのです。当時から葛尾村ではお年寄りの方が狩猟をやっていましたが、私は会社に勤めていたので、狩猟は日曜日だけでした。週に一度見に行くと、かけておいた罠に獲物がかかってるんですよ。

そのころはイノシシを捕ったら、狩猟をする人もしない人もみんな集まって飲んだり食べたりするもので、それが楽しみでした。イノシシは豚肉よりさっぱりしていておいしいんですよ。私が知る限り、葛尾村で獲れた一番大きいイノシシは体長3メートルほど。重さも130キロはありそうでした。そんな大きな獲物は1人で家へ持ってもっていくことはできないので何人かで協力して車に乗せるものでした。

昔の葛尾村ではイノシシのほかに、雉やタヌキ、野ウサギを獲っている人もいました。私はやってなかったけど、2月の終わりに集まって野ウサギ追いをして、その肉を食べる人たちもいましたよ。震災前は、そうやってみんなで狩猟を楽しんでいました。

震災後しばらくは、以前は食用だったイノシシが葛尾村の田畑を荒らしてしまってひどかったですね。今では獣害はだいぶ減ってきているけど、イノシシは一回の出産で7~8頭、多いときで10頭も生むから、1年も狩猟しないと大変な数になるんです。猟友会自体の活動はあんまりしていませんが、有害鳥獣駆除隊として2012年頃から活動を再開しました。多いときは1人で1日に30頭も捕まえることもあり、トラックの荷台が山積みになるくらい数が増えています。もちろん放射性物質による汚染があるので、以前のように食用にはできませんから、捕ったらそのまま役場にもっていくだけです。

でも、いずれまた捕った肉をみんなで分け合って、普通に食べられるようになったらいいなと思っています。猟友会はみんな仲がいいので、協力が必要なときは「今どこにいるの?」と連絡が入ります。今後も連絡を取り合い、協力していければいいですね。欲を言えば、猟友会は高齢化してきているため、今後は若い人も狩猟をしていってほしいです。

私は、震災後に勤め先の会社が本宮市に移転したことなどをきっかけに退職しました。震災直後は本宮市に住んでいる娘の家に避難し、その後三春の仮設住宅に3年ほど住みました。三春町に家を建て、避難指示解除後は三春と葛尾を行き来していましたが、今年から農業のために葛尾村にいることが多いです。また、下手の横好きだけどドローンの操縦免許も取得し、車の免許も特殊車両軽まで持っています。何でもやってみようという気持ちでいろいろなものに挑戦しています。

(2021年2月5日取材)


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