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葛尾むらづくり公社
山口 和希さん

2022年4月に葛尾むらづくり公社 移住・定住支援センターに地域プロジェクトマネージャーとして入社しました。今は、移住定住の相談窓口、関係人口を創出するための事業づくりなどをしています。私自身、県外から葛尾へ移住して間もないですが、自分として、移住希望者に親身になって対応していきたいと考えています。

出身は埼玉県で、中学2年のとき地元で東日本大震災を経験しました。その後、高校2年のとき、1年間カナダのノバスコシア州に語学留学しました。今まで日本国内で日本人として、つまりマジョリティとして暮らしてきた私にとって、マイノリティとしてカナダで過ごした経験は、自分のアイデンティティや視野を広げるきっかけになったと思います。

大学受験勉強中にたまたまルワンダ大虐殺に関する映画を観たことがきっかけで、途上国、特にアフリカに興味を持つようになりました。生まれた場所や環境が違うだけで、こんなにも人生が左右されてしまう社会に、世界に、違和感を覚えたからです。その後、国際協力や文化人類学について勉強できる大学に進学しました。

在学中は、いろんな国のひと・もの・ことについて知りたくて、バイトして貯めたお金をつぎ込んでは、途上国に旅しに行きました。ずっと行きたかったアフリカ大陸を訪れる機会が来たのは大学3年のときのことです。旅行のような短期間でなく、長期間滞在して人びとの暮らしを知りたいという思いから、大学を1年休学して農業のインターンとしてケニアに赴きました。

私が暮らしたケニア農村部には、チャマと呼ばれる頼母子講があったり、農作業を村民総出でやる日本の「結」のような文化があったり、いたるところに相互扶助の精神が見られました。「アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る」という有名なアフリカのことわざがありますが、その魅力はこういうところにあるような気がしています。

大学卒業後は都内の食品商社に就職。そこで約2年仕事をしましたが、せわしない東京に刺激を感じつつも、どこかモヤモヤとした気持ちが自分の中で膨らんでいく日々でした。近代的で、多様性に富む華やかな東京。けど、人間味がないというか、表面的というか、大事なものは空洞になっているような矛盾した東京。もちろんそんな東京も好きでしたが、いつかは東京を離れて、人・コミュニティとのつながりを大切にした生活がしたいと思うようになったのです。

そんななかで、たまたま葛尾村のことをネットで知りました。以前は「結」が存在していた村だと知って親近感を覚え、自分が求めていたものがここにあるんじゃないかと感じたのです。葛尾むらづくり公社の求人情報を見ると、職務内容が自分のやりたいこととピッタリでした。そこで実際に葛尾村に足を運んでみたところ、直感的にいいなと感じ、応募を決断。現在に至ります。

葛尾村は自然が非常に美しいです。今の時期はみずみずしい新緑がとってもきれいで、見ているだけで自分の体にエネルギーがチャージされるようです。また村の人びとも優しい方が多くて、自分まで優しくなれるような気がしています。自分が東京に居た時に目指していた「人・コミュニティを大切にする」こと。葛尾村で時間をかけてゆっくりと、ていねいに、それに取り組んでいきたいと思っています。

【2022年5月取材】


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