INTERVIEW

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専業農家(葛尾村)
阿部 登さん

私は葛尾村で葉タバコ畑1町と田んぼ2町5反を持ち、専業農家として生計を立てていました。その傍ら、親類などに配るための野菜も趣味の範囲で作っていたので、震災後郡山へ避難した後も、一般住宅の基礎工事に携わりながら、親類や近所の空いている畑などを借りて野菜作りを続けていました。

生まれたときからずっと葛尾村で生活してきたので、村へは避難指示が解除になり次第帰ろうと決めていたんです。2016年に解除になって、まず畑仕事を再開。自宅には2017年9月にやっと帰ってきました。2018年度に野菜を貯蔵する倉庫を建ててから野菜を出荷しようと考えているので、本格的に農業を再開するのは2019年度を予定しています。

私は新しいことや興味を持ったものに挑戦することが大好きなので、震災前には自宅近くに自生していたナツハゼを畑に移植して栽培をしていました。しかし、ジャムなどに加工できないかと考えていた矢先に被災。今年再びトライしたものの、穫れたナツハゼから放射能が検出されてしまったので加工は断念しましたが、来年度以降も商品化できるよう挑戦は続けていくつもりです。また、新種の野菜作りにも大変興味を持っており、今年は生でも食べられる糖度の高いニンジン5種類に挑戦したほか、ナスの栽培も8種類ほど試み、みんなに配りました。娘たちや孫からも好評だったので、来年度以降も作っていこうと思います。また、震災後郡山で作り始めたイチョウ芋も今年は葛尾村で初めて栽培し、長雨が続いたので発育を心配していましたが無事収穫できたので良かったです。

私が農業を続ける理由は、畑で野菜を作っていると落ち着くからですかね。土をいじっているととても癒されるんです。今年は私が作ったキュウリを孫が丸かじりしながら全部食べていたと聞いてとても嬉しかったです。子供の舌はとても正直だから、美味しい物しか食べてくれないからね(笑) 。作った人の顔が見えるからこそ、さらに野菜は美味しいと感じるものだと思うし、そういう、信用される野菜作りをこれからも続けていければと思います。

葛尾村は震災以降、もともと少なかった人口がさらに減ってしまいました。村を発展させるために様々な挑戦をしていかないといけないと思います。だけど、誰かが初めの一歩を踏み出さないと誰も動かない。なので、葛力創造舎の活動の中で、私が協力できることがあれば楽しみながら一緒にやりたいと考えています。

(2017年11月取材)


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