PLAYER INTERVIEW
自分は20年以上東京で仕事をしていて、実家が経営していたホテルを継ぐため富岡町へ帰ってきたのは、大震災の2年前、2009年のことでした。
震災が起きてすぐ、個人的に支援活動を始めましたが、もう少し組織的に必要なところへ必要な支援が届けられるよう、2013年から「相双ボランティア」という団体名で活動するようになりました。引越しの手伝い、片付け、草刈りなどで双葉郡内のいろんなところへ行って、いろんな人の話を聞いているうちに、このままでは本当に双葉郡8町村がバラバラになっちゃうなと感じたんです。
地域の人たち、特に40代以下の若い世代は自分の生活で精一杯で、周りのことには手も頭も回らない状態。たとえば、「双葉郡では子供が生まれていない」という危機感をはっきり自覚していた人は少なかったし、隣の町の人と知り合う機会すらなかった。こういう人たちをもっとつなげて、双葉郡の人たちがお互いをよく知って、一緒に地域の将来を考えるような場をつくれないかと考えました。
早い時期からそのアイデアはあったのですが、自分自身が故郷を長く離れていたこともあり、実際に有志を集めて場を立ち上げるまでには少し時間がかかりました。もともと双葉郡内の町村は、原発の有無なども関係してつながりが弱かったところがありますしね。でも、話をしているうちに危機感を共有して賛同してくれる人が出てきて。8町村から一人ずつ有志が出て第1回ミーティングを開催したのが、2015年7月7日。「双葉郡未来会議」の生まれた日です。
活動開始から1年半あまりで、現在のメンバーは100人以上。これまでに8町村の視察や各町村をテーマにしたセッションを一回りさせ、今後は「検証と発信」に力を入れていきたいと考えています。あのとき何が起きて誰がどう行動し、今はどうなっているのか。それを動物、消防、警察など、テーマごとに集まって話を聞き、まとめて編集したものをウェブと紙媒体で展開する予定です。
葛尾村の下枝さんは双葉郡未来会議の立ち上げメンバーの一人で、事務局的な仕事を引き受けてもらっています。補助金をうまく使ってプロジェクトを組み立てるノウハウと人脈があるし、アイデアだけで突っ走るのではなく、ちゃんと実現できるように順序だてて考えてくれます。それが自分にはできないので(笑)助かっていますよ。葛力創造舎としてもぜひ成功してほしいですね。ひとりじゃないよ、共にがんばろう!
(2017年3月取材 M/N)