INTERVIEW

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畜産農家(葛尾村野川地区)
白岩 義一 さん

私の家は代々畜産をやっていて、私も中学を卒業してすぐに畜産の道に進みました。私の子どもの頃は競走馬を育てていましたが、私が畜産をやり始めて数年後に常葉町にあった競走馬の市場がなくなって、それを機に馬をやめて牛を育てることになりました。

震災が起こったときも、もちろん牛を育てていました。避難指示が出たとき、大事に育てた牛たちを見捨てることなんてできるわけもなく、5頭飼っていた牛たちは隣町に避難させました。葛尾村で牛を育てていた人は、牛たちを売ってしまった方がほとんどでしたが、私のように別の場所に避難させた人もいましたね。避難指示が解除された時、5頭のうち2頭は売りに出し、3頭を連れて葛尾村に戻ってきました。

震災後、避難指示が解除されてからは、再び葛尾村で畜産をやろうと村に戻ってきました。避難した先でほかの職につくことも考えましたが、ずっと畜産をやってきたので、ほかのことはできないなって思ったんですよね。別のことに挑戦しようと思ったら、一からいろんなことを覚えなきゃいけないでしょ?それだったら、昔からやってきた仕事を続ける方が楽しいなって考えたんです。

もともと牛舎があった場所は、少し放射線量が高かったので、潰してしまいました。今ある牛舎は自分で建てたものです。こちらに戻ってきたとき3頭だった牛も、今は7頭もいます。今年の6月に出産を控えている牛もいるので、もうすぐ8頭かな。うちは、食べるための牛を育てています。いい牛を育てると高く売ることができます。高く売れる牛は基準が決まっていて、その基準の牛にするために、どの牛を交配させるかを考えます。だから日々、どんな牛が高く売れるのか、流行りの系統はどんな牛なのかなど情報収集が欠かせません。母牛を選ぶところから始まっているんです。だから畜産は奥が深いし、面白いんですよ。

最近は畜産をやる人が減り、今葛尾村で畜産をやっている人も高齢者が多いです。もっと若い世代の人たちに興味を持ってもらいたいです。私が育てた牛がたくさんの人から評価されることが、葛尾村の畜産業界を盛り上げ、若い人たちが興味を持つきっかけになればと思っています。

(2021年4月取材)


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