INTERVIEW

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葛尾村役場職員
松本 悠平さん

生まれ育った葛尾村には高校生の時まで住んでいました。実家では米を作ったり、畑で作物を作ったりしていて、木々に囲まれている家だったので子供のころは外に出てバッタを捕まえたりしていました(笑) 葛尾村の風景は、僕にとっては見慣れたものでした。しかし、高校生の時、同級生が実家に遊びに来る機会があり、葛尾村の自然豊かな風景を見て感動していた姿を見た時に、自分が普通だと思っていた葛尾村の風景は素晴らしいものなのだと感じました。

中学校は野球部だったのですが、双葉高校に進学してから吹奏楽部に入部しました。高校生の頃は部活に熱中していましたよ(笑) 福島県内に留まるのは勿体ないと、見識を広めるために進学した東京の大学でも、サークルでジャズをはじめました。グリーン・サウンズ・オーケストラというビッグバンドに所属し、大学3年生の時に部長というか、コンサートマスターを務めていました。社会人になった現在も郡山のスイングセットというジャズバンドで演奏を続けています。

震災当時は大学2年生でした。実家は大丈夫でしたが、弟たちの転校や、父が仕事の関係で群馬県に行かなければなくなったりと、家族がバラバラになってしまったのがとても悲しかったです。その当時は葛尾村に戻る事は考えていませんでした。ある時、葛尾村に戻る機会があり、村の光景にショックを受けてから徐々に葛尾村に意識が向き始めました。就活の時期になり、委託採用の話を受けて葛尾村に戻ってきました。

公務員になろうと思ったのは、小学生の頃です。初めはぼんやりと公務員になりたいな、と思っていましたが、葛尾村役場に見学に来た時に、「あ、いいな」と感じて、現在は夢を叶えて葛尾村役場に勤めています。実際に働いてみて大変なこともありますが、少しずつ復興関連のイベントが増えてきた中で、イベントに携わる貴重なタイミングで仕事が出来たこともあり、ここ(葛尾村)で良かったなと、心から思います。やりがいも感じています。

これからも復興の事業に関わっていくなかで、葛尾村が元に戻ってほしいという想いがあります。最初の話に戻るのですが、葛尾村の美しい風景を取り戻して、村内や村外の若い人たちを集めて気軽に参加できるイベントを開催し、もっと交流を深めて繋がりを広げていきたいです。

(2019年1月 取材)


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