INTERVIEW

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葛力創造舎 元インターン(東京都)
眞木 唯衣さん

私が葛力創造舎と出会ったのは大学2年生のときでした。出身の前橋を離れ東京での学生生活で新しいことを探していたタイミングで友人のSNSで見かけたのが、都内での葛力創造舎のイベントでした。あまり震災についてきちんと考える機会がなかったなぁという思いに後押しされて参加ボタンを押したことを覚えています。当日は、福島の方から興味深いお話をお聞きできました。その後、お誘いいただいたツアーに参加し、初めて福島を訪れました。初めて目の当たりにした除染後の廃棄物や、「ここから先が避難区域」と教えられた場所が夜になり一切のひと気を感じない真っ暗闇となった光景がとてもショックでした。東京に戻ってからも、何かとお声をかけていただきながら私と葛力創造舎の関係は続いていました。

そんななかで、団体のインターン生として「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)と復興プロセスにおける相関性」調査における村民インタビューのお話をいただきました。「葛尾村の地域の連携が震災前後でどう変わったか」について、4つのカテゴリーごとに葛尾村と(比較対象を用いて葛尾村の独自性を見出すため)双葉郡の方からお話を伺いました。聞き慣れないイントネーションや方言を聞き取ることが難しかったり、振り返るとお役に立てたのか不安ではありますが、8名の方を訪ねるなかで私自身にとっては毎回発見がありました。

たとえば、下枝さんと役場に行くとあちこちから「あら元気?」「今日は何しに来たの」と話しかけられるのです。私のイメージする、粛々と事務的なやり取りをする場である役所からは考えられず、公的な場であっても人が個人として付き合っているような光景に驚きました。葛尾村農業委員長の松本さんへのインタビューでは、戦前の「結」の文化(農作業における労働力の貸し借り)に話がおよび、歴史のなかで自分たちを捉え俯瞰していらっしゃる様子が印象的でした。浪江町の農業法人の川村さんは、若い世代が就農したくなるような農業をと単価の高い花を作物とし、ICTを取り入れ作業時間を短縮。安定的な収入と労働環境を確保されたご実績をお持ちで、どんなに厳しい状況におかれてもやり方を工夫することはできるということを教わりました。

インタビューから1年が経った現在、私は大学を卒業し東京の企業で働いています。社会の一員となり今あらためて感じるのは、東京にはたくさんの人がいるけれどそのつながりは少し弱くも感じられるということ。そして葛尾村は、人の数は少ないけれど密なつながりがあって、みんなが純粋に地域を良くしたいという思いで作用し合っている場所だったことがコントラストとして浮かんで思い出されます。今は東京の仕事に打ち込みながら、疲れたときは、インターンシップを通して見聞きしたことをお守りのように思い出します。人のつながりがあって自分のやるべきことを見出すことさえできれば、人はどんな環境でもしなやかに生きていけると知っていることを心強く感じます。葛尾村を第二の故郷と言うのはおこがましいですが、またふらっと遊びに行ってきれいな空気の中で美味しいご飯を食べたいなぁと思っています。

(2018年9月取材 相樂 美帆)


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