INTERVIEW

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かぼちゃ饅頭の作り手(三春町)
杉本 照子さん

私は生まれも育ちも葛尾村で、農業を営みながら暮らしてきました。震災後は三春町の新しい家で家庭菜園をして、かぼちゃ饅頭や漬物を作ったりしています。他にも花を育てたり、自分で手編みの籠を編んだりして暮らしています。

昔は村の田んぼでお米を育てていました。妹に教えてもらって、北海道仕込みの、稲を結んで干す「まるき」という作業もできるんですよ。他にも農協からの要請でトウモロコシやジャガイモ、ササゲを作ったり。それから牛を2頭飼っていた時期もありましたね。とれた農産物は(隣りの浪江町の)津島の直売所で売っていました。

その津島で20年ほど前に見つけたのが「かぼちゃ饅頭」です。これ、皆さんは昔からある郷土食だと思っているでしょう。でも、おばあちゃんの頃から作られてきた凍み餅と違い、昔はなかったんですよ。私のかぼちゃ饅頭は、津島で売っていたものを研究して独自に工夫しました。かぼちゃを潰して粉をまぶして練るんですが、この粉がとても大事なの。津島は重曹を使いますが、私は蒸しパンの生地と同じものを使っています。重曹を使うと匂いが気になることもありますが、これはそんなこともないので重宝しています。こんなわけで震災前から作っていました。

震災と原発事故で、葛尾村広谷地の家から三春町に避難。その後、現在の復興団地の家に越してきて、落ち着いたころに饅頭づくりを再開しました。周りの人に(饅頭を)作らないのかと聞かれることもありましたしね。それで、震災後も1年間に1000個ぐらい作っているんですよ(笑)。周りの人が蒸しパンの生地の粉をくださると、それでかぼちゃ饅頭を作って、ご本人だけでなく葛尾村外から来た人や友人などに渡すんですが、皆さん美味しいって言ってくれて。「あら、うんまいなあー!オラ食ったことねえ」なんて言ってくれる人もいます。それが嬉しくてつい作ってしまいますね。最近は人に作り方を教える機会も増えました。

昔から農業をしてきてたくさん苦労もしましたし、震災・原発事故の被害もありました。でもいま、一人でゆったりとした生活ができて、とても幸せです。10月上旬には葛尾村の稲刈りがあるので、また参加してかぼちゃ饅頭を振る舞いたいです。最近では村の人の希望もあるので、人気のこのかぼちゃ饅頭を商品化して、販売したりPRできたらいいですね。これからも皆さんに笑顔を届けていきたいと思います。

(2018年8月取材)


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