PLAYER INTERVIEW
私は生まれも育ちも葛尾村です。震災前まで専業農家をやってきて、震災後は放射能検査の仕事と農業委員長をやっています。農業委員会では、現在、行政から任命を受けて農地の維持管理や利用法の協議をしています。しかし、震災後は村に戻ってくる人が少なくて、農地も水田だけで200haあるところ20haしか利用されてないんです。
いま利用されている数少ない水田では、自分が食べるためだけに米を作っている人の他に、十数人が販売用に作っていますが、風評被害でなかなか買ってもらえません。避難している村民の中にも村の農産物を心配する人がいて、そういう人には「それじゃあ自分で作って確かめてみて」と提案しています。できた作物を検査すると「あら、ほんとね!」と安心してくれるんですよ(笑)だから、実際経験すればわかることなんですけどね。
これから大規模営農を目指そうとしている人も何人かいますが、みなさん経験がないので苦戦しています。耕作放棄地の問題もありますし、村の農業を再び盛り上げるにはとにかく“人”が必要ですね。少ない人数でやっていくとしたら「集落営農」しかないと思ってます。
葛尾村にも40年前まで「結」という、お互いに農作業を手伝って後でお返しをする習わしがあったんですが、機械化や若者の減少で続けられなくなりました。しかし、「結」の文化自体は、自分で作った作物や料理をおすそ分けして物々交換する風習として今でも残っています。震災後は村民が少なくなって寂しいので、みな誰かに会って話がしたいのです。もちろんおすそ分けは親切心からですが、ただあげるだけじゃなくて自分の作った作物に自信を持ってるから「どうだ!」って自慢したいんですよ(笑)。そうやって会話が生まれるし、お互いにより良い作物を作ろうという競争心も出てきます。こういう親切や助け合いによって生まれた「つながり」がこの村にいて感じる“幸せ”です。物質的な豊かさよりも、顔を合わせてストレス解消する生活のほうが幸せなんじゃないかなと。この文化はこれからもこの村に息づいていってほしいと思ってます。
葛尾村の未来を描くことは、人口を増やすことや風評被害と向き合っていく復興プロセスと同時に進めなきゃいけません。そのために、村を訪れた人が村の良さや文化を体験してくれることはとっても良いことですし、そうやって理解者を徐々に増やすことが復興につながると感じています。村では、新しく入ってきてくれた人の力を取り入れようと、使われていない農地をそうした新しい人たちに貸す仕組みも現在整えているところです。若い人のもつ“前に進む力”でどんどん新しいことをしてほしいと思いますね。
(2019年8月24日取材 渡辺勘太郎)