PLAYER INTERVIEW
私は葛尾村の隣、田村市船引町で生まれ、65歳になる今年までずっと船引で暮らしています。高校卒業後から定年まで船引町役場で働き、その後2021年3月まで葛尾村役場・教育委員会の社会教育係で主任主査を務めました。高校生の頃から一人旅が趣味で、全国の山やお城を巡り、写真を撮っています。
船引町役場では様々な部署を経験してきました。教育委員会、観光、福祉などなど。13年間携わった福祉は大変な仕事でした。困っている人にどこまで寄り添うのかがとても難しい仕事です。声なき声に応えたいという思いで四六時中働きました。そんな中で震災が発生しました。当時船引総合福祉センターの所長だった私は、避難所になったセンターで二泊三日一睡もせず避難した方達の支援をしました。あの時のことは一生忘れません。
葛尾村との出会いは、高校生の時に船引と葛尾村の間にある蟹山に登ったことでした。登山のあと、葛尾大尽屋敷にも行きました。そこにはかつて華やかな庭があったこと、そこで神楽を行っていたことを知りました。言い方は悪いのですが、山奥にある農村にそのような華やかな文化があったことがとても面白いと感じました。また、ひとつ山に登ったら、次はそこから見える山に登るということをしていたので、自然とその他にも良い山がたくさんあることを学んでいきました。
葛尾村役場で働くことになったのは2018年でした。その年62歳になった私は、定年後も船引町役場に勤めていました。そんな時、葛尾村役場で即戦力の人材を募集していました。被災地の手助けがしたいと思った私は、3年という区切りで出向することにしました。3年間、葛尾村の歴史を再発見し、美しい風景をみんなに伝えるために働きました。今では誰よりも村に詳しいとよく言われます。広報誌の写真も私が撮ったものがよく載ります。ぜひ注目していただきたいですし、残念な表紙だと思われないように工夫を重ねているつもりです。広報することによって村に訪れる人が増えてくれると嬉しいです。
これまで船引や葛尾で頑張ってきました。これからは、体が元気なうちに自分の好きなことをしたいと思います。日本百名城や福島百名山に行けるだけ行きたいです。同時に、疑問を持って調べる、そしてそれを記録して、人に伝えるということは続けていくのだと思います。
(2021年3月取材)