PLAYER INTERVIEW
生まれも育ちも古殿町。以前は牛を40頭飼っていましたが、東日本大震災の数年前に酪農はやめて、コメ作りに専念することにしました。でも農業は冬場は仕事がありませんから、当初、夫は勤めに出ていたんです。でも考えてみれば、昔の人は冬の間、凍み餅などの保存食を作って暮らしていたんですね。だから自分たちもそういう生活をすればいいんだと。百姓の原点は「自然とともに」。ありのままでいこうと思ったら、すごく楽しくて楽になりました。
それで2010年に加工場を建て、自分たちのコメで作った総菜や餅などを、道の駅や直売所で販売し始めました。凍み餅も地域の先輩方に作り方を教わって、このころから商品として作り始めたんです。が、まもなく東日本大震災。お客さんが全然来なくなり、空いた時間は6次化やグリーンツーリズムなどの勉強に使いました。
もともと私は漠然と、郷土食や伝統料理を発信したり、それを通じて地域内外の人が交流して古殿の良さを発見するような活動をしたいと思っていたので、いま振り返れば、その勉強の時間は夢を具体化するために必要だったんですね。だから、大震災は私にとって転機だったと言えます。
そしていよいよ2015年9月、夫と二人で物置小屋をリフォームした交流施設「みんなの家」をオープンさせました。名前のとおり、地域の方みんなに自由に使ってもらえる場所です。葛力創造舎さん主催の「ごんぼっ葉凍み餅づくり」の皆さんが稲刈りにいらしたときが、こけら落としだったんですよ。
葛力創造舎の代表理事、下枝さんと知り合ったのは、震災後しばらくしてからです。葛尾でもみな凍み餅を作っていたのに、被災して材料のごんぼっ葉が採れなくなってしまった。でも故郷の郷土食を絶やしたくないという思いから、この凍み餅づくりの企画を考えたということで、受入れを依頼されました。そのときの私の方針は、「頼まれごとは試されごと。自分の楽しみに変えよう!」ということ。実際、このイベントを通じて新たな出会いがあって、それがまた次の出会いにつながっています。うれしいし、楽しいですね。
6年前、原発が爆発したときは、もう農業ができないかもしれないと思いましたが、幸いこの辺は放射線量も低く、検査したらコメを作っても大丈夫とわかりました。大丈夫ならやるしかない。そう決めてやり続けていれば、おのずとお客さまはついてきてくれました。だから、やってきたことに間違いはないと確信しています。帰還が始まった葛尾村も、みなさん頑張ってほしい。そして私の活動が、少しでも人を元気づけられたらうれしいですね。
(2017年3月取材 M/N)