INTERVIEW

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農家(葛尾村 大笹地区)
田中 文夫さん

もともとここの部落は家畜を育てている家が多かったんです。いつもいろいろな動物のにおいがして、妻は最初、ここは人が住むところではないと思ったそうです。私も震災発生の30年前から個人でブロイラー(食用鶏)を育てていました。鶏は一度に出荷すると鶏舎の中が一時的に空になることがあるため、世話をしなくていい期間があるという面では牛や豚に比べると楽でしたよ。

それが原発事故で辞めざるを得なくなりました。ブロイラーの放射性物質が基準値を越えてしまい、全羽処理しなくてはならなかったのです。鶏舎は無事だったので、いまは伊達物産という会社にその経営を譲りました。暑さに弱いブロイラーは、気温が35度くらいになると死んでしまうことがあります。今年は暑いので大変でしょうが 、現在は機械を導入して以前よりさらに細かく鶏舎の温度管理ができており、死亡率は減少しているようです。

震災があって養鶏業を手放して、自分の中でひとつの時代が終わったなと感じました。年齢を重ねるにつれ仕事の厳しさに身体がついていかなくなりますが、自営業は定年がありません。実は震災前からも、ある程度区切りがついたらやめようとは思っていたのです。今は好きなときに畑仕事ができるし 自分の時間もあってとても良いです。

震災直後は3~4か月間、福島市のあづま総合体育館に避難し、その後5~6年仮設住宅で生活していました。その間、じっとしているばかりではよくない、どこか旅行にでも行こうと思い、妻と妻の妹と一緒に北は北海道、南は沖縄県と日本各地に出かけました。震災前は旅行に行く暇もありませんでしたからね。

現在は、販売するための作物は作っておらず、自分たちが家で食べる分だけ野菜を育てています。今はダイコン、ニンジンなどの根菜や、ナス、キュウリ、オクラなどの夏野菜、他には小豆、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーも育てています。ナスは金谷さん(野菜に詳しい葛尾村在住の親戚)から苗をいただいた「庄屋大長」という品種を栽培しています。

これからも自分が動けるうちは好きなものを作って自由に生活していきたいと考えています。何歳まで続けられるかわかりませんが、葛尾には90歳になっても畑仕事をしている人もいるので、私もそのくらいまで続けたいです。村の人口が減っていく中でもしかしたら合併などもあるかもしれませんが、私が生まれた「葛尾村」という名前は残ってくれればいいなと思っています。

(2020年9月取材)


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