INTERVIEW

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農家(葛尾村落合地区)
松本 久子 さん

私は、下葛尾部落で9人兄弟の末っ子として生まれました。実家は、農業と畜産で生計を立てていました。畜産は、主に馬の飼育をしていました。昔は畜産といえば馬で、牛を飼っている人の方が珍しいくらいだったんですよ。育てた馬は田村市常葉町に競りに出していました。常葉町までは、歩いて馬を引いていったんです。昔は、今みたいに道がきれいに舗装もされていないし、幅も狭くてトラックで運べなかったからね。

子供の頃は、友達と遊んだりもしたけれど、学校から帰ったら家の手伝いをすることが多かったですね。畑や田んぼの草取りとか子守りなんかをしてました。田植えの時期は、家の人に起こされて朝早くから田んぼに行きました。葛尾村は春でも朝晩は寒いでしょ。だから水がすごく冷たくて大変だったんですよ。農作業の手伝いは辛いこともあったけど、たまに兄がおやつに米粉のお饅頭を作ってくれて、それを食べるのが楽しみでした。

落合地区の今の家に嫁いだのは、21歳のときです。冬場以外は農業と畜産のほかに、夏湯地区にある親戚の家の仕事の手伝いに行っていました。当時の夏湯地区は大放地区に向かって木材を運ぶためのトロッコ列車が走っていて、トロッコ用の線路が敷かれていたんです。もちろんその頃、車なんてないので私は自転車でその道を走って親戚の家まで行きました。冬になると、落合地区で旅館を営んでいた方の家で、いろんな部落の人たち5~6人と一緒に裁縫を習いました。この時のおかげで、綿入れや簡単な着物は縫えるようになりました。

震災後は郡山市で避難生活を送りました。避難指示が解除されて、息子に葛尾村に帰ろうと背中を押され、村に戻ってきました。葛尾村に戻ってきて改めて、この村の生活が自分にあっているなと感じています。静かなことだけでなく、隣近所が知り合いだという安心感もあるからなのだと思います。

(2021年4月取材)


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