INTERVIEW

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葛尾創生電力株式会社
阪本 健吾さん

生まれも育ちも、兵庫県西宮市です。東日本大震災の時は、中学2年生でした。あまり現実味がなく、対岸の火事のような気持ちで捉えていたと思います。

広島県内の大学に進学し、友人から誘われる形で学生ボランティア団体に入りました。在学中の4年間のうち最初の2年間くらいは、宮城県内の津波被災地にある仮設住宅に通ったり、ネパールや熊本、広島県内などで災害ボランティアに従事したりと、団体の活動に没頭していました。「対岸」だった場所に渡ってみると、当たり前ですが、自分が住んでいるところと同じように普通の人の生活があるのだなぁと手触り感のようなものを覚え、そのことが新鮮だったのだと思います。

一方で、いわゆる「支援」の限界も感じるようになりました。災害が起こるたびにただ「支援」するだけでは、これから先も同じことの繰り返しなのではないかという思いも芽生えたのです。そこで、津波被災地とはまた違った事情がある福島のことが気になり始めました。

福島のことを考えるには、いわゆる文系・理系の壁を越えた思考が重要になります。例えば「福島に観光に行く」というとき、空間線量は科学的には人体に影響を及ぼすレベルではないのに、逆にあちこち線量計が設置されているという事実に身構えてしまう面がある。また、そうした光景そのものに興味を惹かれてしまう部分もある。でも、たとえ動機が軽薄でも実際に福島を訪れて得た学びや気づきの蓄積が、もしかしたら個人や社会を少しだけ変える力になるかもしれない。このように、観光に限らず一次産業や廃炉、リスクコミュニケーションなど、福島というレンズを通して普段は気にも留めていなかったことをいくつも考えるようになりました。単に、被災した場所にもう一度人が住むようになって、そこに便利で快適な環境をつくって終わり、ではないとわかってきたのです。

大学3年生の頃には、いわき市にて観光分野のインターンシップに参加する機会に恵まれ、1か月間の滞在でその地の文化や人に触れることができました。4年生時には、その経験を踏まえつつ、「学び」と「遊び」を行ったり来たりする被災地域での観光行動についての卒業論文を書きました。この論文は、福島県が推進する被災地観光のプログラム「ホープツーリズム」に同行させていただき、そのフィールド調査をまとめたものです。福島・浜通りについてなんとなくしかイメージを持っていなかった参加者が、ツアー中に驚いたり考え込んだり楽しんだりする様子をみて、現場が持つ人の心を動かす力はすごいなと改めて感じました。この論文は英訳のうえ加筆修正されたものが出版される予定になっています。

就職先は旅行代理店を選びました。福島や東北に限らず、「学び」や「遊び」に溢れる旅を仕事として人に提供できればすばらしいと考えたからです。しかし、勤務開始後まもなく新型コロナウィルス感染症が拡大。旅行屋さんというよりは「なんでも屋」さんとして、プレミアム付食事券の事務局や飲料メーカーのCSR活動の運営など、旅行を売る仕事ではまず関わらないような業務に 携わることになりました。

入社前はまったく想像もしていなかった展開で、こうして多岐にわたる業務を経験できたのは大変貴重な機会ではありました。が、その一方で、不確実性が増す世の中で真に自分自身にとって意義や 価値のある仕事は何だろうと、ぼんやり考えるようになったのです。

そんなある日、ネットサーフィンをしていて見つけたのが、「再生可能エネルギーの地産地消」に取り組む葛尾創生電力株式会社の求人情報でした。学生時代に縁のあった福島で、これからの時代に大きな示唆を与える貴重な仕事ができるのではないかと思い、転職を決めました。

現在の主な職務は、発電量や需要量を予測・調整する需給管理業務や、新規のお客様の受付・営業です。エネルギー産業はたいへん奥が深く、勉強しなければならないことが山積みですが、葛尾村にこの事業があることの意義を、なるべくわかりやすく言葉にしていきたいと考えています。また、社業以外でもこれまでの経験を活かして、葛尾村のこと、福島のことを学んだり、いろいろな場所へ行って遊んだりして、発信していきたいと思います。

葛尾村に住んでからまだ日が浅いですが、周りの方になにかと気にかけていただきつつ、適度な距離感で居心地よく過ごすことができています。特に新緑の季節は気候も風景もすばらしく、休日は登山にお誘いいただいたり、木陰で本を読んだりと、葛尾ライフを満喫しています。

(2022年5月取材)


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