INTERVIEW

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農家(葛尾村下葛尾地区)
丹伊田 政治(にいた・まさはる)さん

葛尾村の下葛尾地区で生まれ育ちました。平成22年まで主に葉タバコの栽培、繁殖牛の飼育、林業、農業をして生計を立てていました。葉タバコは年に一度しか稼げないので、JAに出荷する野菜も育てていましたね。野菜は白菜、大根、春菊、インゲンなど大体の種類は育てたと思います。冬になると炭焼きをするか東京まで出稼ぎに行っていました。

東日本大震災のとき、私たちは3月13日に福島市のあづま球場に行って一晩過ごし、次の日になったら葛尾村の人は会津坂下町の川西コミュニティセンターに行ってくださいと言われたのを覚えています。でも、私は寒さが厳しい地域に行くのは不安があり、娘がいる埼玉県に向かいました。高速道路が通行止めで走れず、福島県を出たのは朝だったのに、娘の所についたのは夜中の12時でした。途中でガソリンを入れようと、給油待ちの列に並んだつもりでいたら、ついた先は田んぼだったということがありました。あの時はみんなで笑いましたね。

何とかガソリンを間に合わせ、娘のところに二晩、そのあと私の兄弟のところに1週間泊まって、埼玉県熊谷市箕輪の公民館に20日ほどお世話になりました。そこの婦人会さんにご飯や銭湯など連れて行っていただきました。そのあとお盆まで会津柳津町の会津西山温泉に避難、さらに三春町の仮設住宅に移って、そこに避難解除までいました。柳津町と三春町では農業を手伝わせてもらい、本当にお世話になりました。今でも当時お世話になった方々とは電話をしたり、農作業を手伝ったりしています。

今はエゴマと田んぼがメインです。エゴマは5年前から育て始め、自分の畑2反歩のほか郡山女子大学さんと一緒に育てている別の畑もあります。そのほか、この辺りではごんぼっぱと呼んでいるオヤマボクチを1反歩育てています。私の先祖はトラクターがない時代に、2町歩(6000坪)あった畑をすべて鍬で耕したそうです。その苦労を知ったらとても手入れを怠って草むらにはできないですよね。今後もできる限り野菜を育てたり、草刈りをしたりして体を動かしていきたいです。

(2021年6月取材)


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