INTERVIEW

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一級建築士(楢葉町)
品田 真優さん

現在、楢葉町の自宅にて建築設計の仕事をしながら夫と二人で暮らしています。私は楢葉町の出身で、高校卒業後は進学、就職と関東で生活していましたが、昨年約10年ぶりに仙台出身の夫と共にUターンしてきました。

東日本大震災当時は高校3年生で、次の日が大学受験だったため前日より県外に出ていました。発災しそのまま自宅へ帰ることもできないまま、その後合格が決まり大学へ入学します。楢葉町の実家へ帰ることができたのは発災から4か月後の7月、家族や近所の方と集団での一時帰宅でした。

大学在学中は地元の復興のため何かできないかという思いがありましたが、当時はまだ双葉郡に立ち入ることすらままならない状況だったため、津波被害のあった釜石やいわきで集会所建設のボランティアに参加していました。

大学卒業後は大学院進学、東京の設計事務所に就職と、生活拠点が東京に。研究や仕事が忙しくなるにつれて、地元へ目を向ける余裕がなくなっていきました。それを考え直すきっかけになったのは、就職4年後の2021年2月、故郷を再び襲った福島県沖を震源とする大きな地震でした。会社の同期であった夫が背中を押してくれる形で、夫婦で双葉郡に拠点を移す決心をします。

楢葉町に戻って約1年間は、相双地域にサテライトを置く福島大学の復興支援専門員として(原発事故で避難指示を経験した)12市町村を対象に活動を行いました。復興支援の業務では多く方々からお話を聞く機会があり、学びや気付きが多い1年となりました。

震災前、葛尾村は同じ双葉郡でもなかなか行く機会がなく、どこか距離を感じていましたが、昨年はこの復興支援専門員の業務を通して何度も葛尾村に足を運ぶ機会があり、のどかな村の情景にとても惹かれました。

今年1月には葛力創造舎の方にお声がけいただいて祝言式を体験することができました。私たち夫婦はコロナ禍下の結婚で、東京で家族のみの小さな挙式をしただけでしたから、こうして改めて皆さんにお祝いしていただけたのが嬉しかったですし、村の伝統に触れることができ、第二の故郷のようなつながりを感じています。

現在は、楢葉町に住みながらフルリモートで建築設計の仕事をする傍ら、双葉郡へのツアーコーディネートをするなど、自分にできることを模索しているところです。せっかく地元に戻って暮らしているからこそ、地域とのつながりを大切にしながら家族と穏やかに田舎での生活を楽しみたいと思っています。

(2022年7月取材)


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