INTERVIEW

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大豆そば生産組合 会長
東海林 富司夫(しょうじ・ふじお)さん 

震災前は葛尾村内の野川という地区に住んでいました。今は住まいのある船引町から葛尾村に通い、土木系の会社に勤めていますが、同時に葛尾村でのそばの生産にも20年ほど前から携わっています。今は大豆そば生産組合という名称ですが、元々は「そばの会」という名称で活動していました。活動の内容自体は昔と変わらず、そばを8月に作付けして10月末に刈り取り、そば粉の状態に加工する工程までを請け負っています。そばを打つ工程は、石臼の会という別の組織で行われています。

令和3年の3月に葛尾村に加工場が建てられ、大豆とそばを一緒に加工出来るようになってから、大豆そば生産組合に名称が変わり、組合の会長をやらせて頂くことになりました。会長になったと言っても、やることは変わりませんが。

葛尾村でそばが生産されるようになったのは、私が関わるようになった20年前よりももっと昔で、詳しくは分かりません。ただ、葛尾村はそば作りには持ってこいの気候なんです。そばは昼夜の気温差が激しい環境だと、日中に葉で作った養分を実に蓄えることが出来るので質の良いそばが育つそうです。昔の人はそれが分かっていたからそば作りを始めたのでしょうね。毎年11月に村内で開催される新そば祭で、来た人に「葛尾村のそばはとても美味しい」と言ってもらえることがとても嬉しく、やりがいになっています。

組合員も石臼の会の会員も年齢が上がって来ています。若い人と一緒に何かやれたら、とは思いますがなかなか機会がありません。新しく建てられた加工場の見学・体験ツアーや、そば殻を使用した新しい商品の開発、そば打ち体験の参加者を増やすために何をすれば良いかなど、私たちも様々な案を考えています。そこに大学生や高校生などの若い人たち入ってもらって、一緒に活動が出来たらいいと思っています。

若い人の発想力と葛尾村ならではの物を組み合わせた新しい物を作ることをきっかけに、葛尾村に来る若い人が増えたり、村外に引っ越してしまった村民が戻って来たら嬉しいです。私も村外に引っ越してしまいましたが、今後村民が増えたり、戻って来たりしてほしいとずっと考えています。

(2021年11月取材)


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