PLAYER INTERVIEW
出身は葛尾村上野川地区です。葛尾村に住んでいる他の方と同じように、タバコの葉や田んぼ、畑、馬などで生計を立てていました。19歳で下葛尾地区に住んでいた旦那のところへ嫁ぎ、裁縫や手芸を教える横山和洋女子専門学院に通い始めました。卒業後、村外の鉄工所で10年、村内の別企業に移って30年間働きました。
地域交流の場になっていた「かつらおスポーツクラブ」には、よく通っていました。クラブの立ち上げは40年以上前だと思います。震災前の会員数は80人以上。2歳から80歳くらいまで幅広い年代の方がいて、親子で参加している方もいました。毎月役員会を開いていましたね。平日は、月曜日はソフトテニス、火曜日は剣道、水曜日はよさこいとバレーなど、毎日違うスポーツを実施していたので、毎日参加している人もいましたよ。土日は葛尾村で試合を開いたり、県内のスポーツクラブの方と試合をしたりしました。白河まで試合に行ったときは、何台も車を連ねて行き、試合後は群馬県まで温泉に入りに行ったこともあります。にぎやかで楽しかったですね。
東日本大震災の後、私は会津若松市や三春町に避難していました。三春町に仮設住宅ができると、そこで避難生活を送る村民のコミュニティ維持や孤立化を防ぐために「支え合いセンター」が設立され、私はその職員として働き始めました。仮設住宅の巡回や声かけ、手芸教室の先生、お茶会など様々な活動を楽しく実施したほか、かつらおスポーツクラブの活動も、三春町の体育館をお借りして継続しました。近くの仮設住宅に住んでいた方だけでなく、若い人の中にはいわき市から参加しに来る方もいましたね。
そして葛尾村が避難解除になると、私は復興交流館「あぜりあ」で地区活動や交流館の運営等を行う復興支援員として働くことになりました。震災前にスポーツクラブで出会った方々とも、交流館に来ていただいたり電話をくださったりして交流が続いています。今後もみんなのよりどころになれるように働いていきたいと思っています。
最近、葛尾村には移住者が増えてきています。今はコロナウイルスの影響もあって「かつらおスポーツクラブ」は休んでいる状況ですが、地域の交流の場を絶やさないように今後も活動していきたいですね。
(2021年8月取材)