INTERVIEW

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葛力創造舎 スタッフ
松本 隼也さん

2019年11月に福島県へUターンし、葛力創造舎に入社しました。以来、「復興・創生インターン」の受入れ業務を中心に人材育成事業を担当しています。

入社して4か月目に全国から21人の大学生インターンを迎え、葛尾村で1ヶ月寝食を共にしたのは、本当にいい経験でした。コーディネーターとして自分自身がまだ手探りだったことを含め、期間中はいろいろ大変なこともありました。でも、自分とあまり歳の違わない学生たちが、ここで過ごすうちにどんどん変わっていくんです。その姿を目の当たりにして、最終日は図らずも自分が号泣してしまいました。僕の故郷の葛尾村に、なんの縁もない人たちが遠くからはるばる来てくれて、懸命に知ろうとしてくれた。何かを感じようとしてくれた。心から「ありがとう」と思ったのです。

僕自身、以前は葛尾なんて何にもない田舎だと思っていました。生まれ育ったのは両親が勤め人、祖父母が農業という、この地域の典型的な家庭。葛尾中を出て双葉町の双葉高校に進学したころは、なんとなく教員になりたいと思っていたくらいで、将来のことは深く考えてなかったですね。勉強よりも剣道部の部活に打ち込む毎日でした。

そんな高校生活1年目の終わり、東日本大震災と原発事故が発災。家族の避難先となった郡山市内の高校に転校を余儀なくされました。自分のこと、将来のこと、いろんなことを考えさせられる中、先生の影響で興味を持つようになったのが縄文考古学です。卒業後は東京の大学で歴史学を専攻しました。1万年も続いた縄文時代、人々は自然と共生し、資源は循環していた。その対極にある現代、いまこそ縄文社会に学び直し、「持続可能な、人間らしい暮らし」を目指そうという主張もあります。が、それってもしかして自分の故郷の暮らしそのものじゃないか?後進的だと思っていた葛尾にこそ、これからの社会づくりのヒントがあるんじゃないかと、その頃から考え始めてはいました。

でも、僕が卒業後に選んだのは、まったく違う道でした。同級生たちが研究職や教育委員会などの職に就くなか、自分は民間企業で営業の世界に飛び込んだのです。理由は、自分の力をとことん試したいと思ったから。実際、歩合制という厳しい環境で徹底的に鍛えられました。飛び込み訪問先を間違えて、怖い思いをしたこともあります。そんな仕事で叩き込まれたのは、「結果が出ないことを他人のせいにしない」という姿勢でした。この基本がいまでも僕を支えていると思います。

その会社で1年半。自分が満足できる結果を出し、「やり切った」と感じた僕は、次にやるべきことを考えました。そしてやはり、「被災地」になってしまった故郷のため、失われつつある村の暮らしを取り戻すために、村の人間である自分の力を使いたいと思ったのです。でも、家族は村外に移住してしまっているし、自分も村を出て以来、年に一度の墓参りくらいしか帰っておらず、現状がよくわかりません。それでネット検索して見つけたのが、持続可能な地域づくりを目指し、村での活動実績を積み重ねている葛力創造舎でした。とにかく一度話を聞かせてほしいとアポをとり、団体代表の下枝さんと出会ったとき、もう自分の気持ちは固まっていました。

いま任されている人材育成の仕事には、ものすごくやりがいを感じています。葛尾にたくさんの若者が来てくれて、何かを感じ、何かを学んでくれる。その後も何らかの形でまた葛尾に関わってくれる。自分の活動がすべて葛尾に還元されることがうれしいですね。

思えば子どもの頃、ばあちゃんと山菜採りに行ったり火起こしを教わったりしながら、自然といろいろなことを学びました。今日の自分を作ってくれたのは、葛尾でのそういう暮らしです。いまの村は、むしろ震災前より賑やかで便利になった面もありますね。でも、村の復興は経済発展一辺倒ではなく、持続可能性を大事にした、葛尾らしい形で進むといい。そのために、自分にできる貢献をしたいと思います。

(2020年4月取材 M/N)


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