INTERVIEW

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ブルーベリー農家(葛尾村野行地区)
金谷 喜一(きんたに・よしかつ)さん

私は役場に勤めていましたが、2016年に退職しました。現役で働いていた震災の5~6年前から退職後の第二の人生についていろいろと計画していましたね。野行にある自宅もリフォームしましたし、ラベンダーの栽培もしていました。地区の人たちが集えるような農家カフェをやらないかなんて話もあったり。そんな退職後に向けた楽しみの一つで既に動き始めていたのが野行地区でのブルーベリー栽培でした。

ブルーベリーは寒さに強いという特徴があります。葛尾村は冬の気温がマイナス10度を下回る日があるほどに低く、果物の栽培が難しい土地なのですが、ブルーベリーを育てる上で問題はないということで栽培を決めました。ブルーベリー栽培は酸性土壌を作るところから始まります。土壌が整った後に、苗を植えるのですが、数年間は実の収穫ができません。苗が小さい時期に実をつけてしまうと栄養が実へ運ばれてしまい木の成長が遅くなるからです。なので、栽培を始めて3~4年間は花を摘み取って、実ができないようにしていました。これらの下準備が整い、ようやく収穫できるという年に東日本大震災が起こりました。

放射線の影響で野行地区は帰還困難区域に指定されてしまい、管理ができないブルーベリー畑は荒れ放題になってしまいました。様子を見に行けない日が続きましたが、震災の1年後、やっと野行を訪れる機会がありました。そうしたらブルーベリーはちゃんと実っていてくれました。収穫して試しに放射能検査にかけてみると、放射線は検出されず、食べても問題がないということがわかったのです。しかし、帰還困難区域で育っているからという理由で、販売することも人に食べてもらうこともできませんでした。

そのもどかしい状態は今も続いていますが、来年、野行の帰還困難区域の避難指示が解除される予定です。そうなったらやっと、私のブルーベリーも販売をすることができます。震災前にリフォームした家も住める状態のまま残しているので、畑作業をする夏場は野行で過ごし、それ以外の時期は現在過ごしている三春町の家で生活しようと考えています。

今の葛尾村は葛力創造舎さんの活動もあり、若い人たちが来てくれるような地域になっているようですね。ブルーベリーの栽培にも若者が関わってくれるようになったらいいですね。野行地区に住む人を増やすのは難しいでしょうが、ブルーベリーの栽培や加工の体験を通して、外の人にも気軽に関わってもらえる環境をつくりたいと思います。

(2021年10月取材)


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