PLAYER INTERVIEW
葛尾村出身です。昔は1町歩の田んぼと1町4反の葉タバコを育て、冬になると私の父は炭焼き、私は静岡県の御殿場市を拠点にタイル屋のアルバイトをして暮らしていました。うちの葉タバコの農地面積は、葛尾村で1、2位を争うくらい広かったんですよ。
ただ、昭和63年の大雨災害でタバコの葉を干す大型の乾燥ハウスが潰れてしまい、また家の事情も重なって、葉タバコ生産をやめてタイル業で生計を立てようと家族会議で決め、平成元年に独立しました。当時の福島県相馬郡小高町と原町市で大きい仕事が取れてから、どんどん福島県内の仕事が増えていきましたが、正直、今までやってきた農業をやめるのは寂しく、タイル屋だけで生活するプレッシャーを辛く思ったこともあります。
東日本大震災のときは、2日後の3月13日まで葛尾村内にいました。14日にタイル屋の本社を置いていた会津方面へ避難し、会津東山温泉の下でアパートを借りて仕事を始めました。被災して2~3週間は本当にひもじい思いをしましたが、その時私は、人から物をもらってしまったら働かなくなるから、もらうことを考えて動くのではなく自分で働こうという考えで乗り切りました。その後、仕事の現場が郡山市になったので、そこでアパートを借りて3か月住み、その後三春町の一軒家に3年、平成26年からは再び郡山市に住んでいます。
葛尾村が避難解除になり、帰還する人が出てきたのを知って、初めは何で帰るんだろうと思っていました。ですが、しばらく郡山に住んでみると、ずっとここにはいられないと感じましたね。暇でしょうがない。58才まで自然豊かな葛尾村に住んでいたら、やっぱりアスファルトの上で生活するのはきついです。今は郡山と葛尾を行き来して、バラを育てています。きっかけは娘がバラの苗を買ってきたことです。バラを植える時は今でも娘に色を見てもらい、植えてあるバラの色を調節して植えています。どちらの家でも育てていますが、葛尾村では地植えをしているのでバラ園が楽しめますよ。つるバラ用のアーチや柵も自分で建てたので、これからのバラの成長が楽しみです。
(2021年6月取材)